五弦バンジョウをひいて賑やかに歌うアンクル・デイブ・メイコンは、器楽を中心にしていた初期のグランド・オール・オープリーではじめて歌手としてフィーチャーされ、オープリー初のスター歌手になった人物である。

 テネシー州ウォレン郡出身で、1870年の生まれである。両親は1873年にナッシュビルに引っ越して芸能人相手の下宿屋をやり、それが幼い時からメイコンを寄席演芸の芸人の歌や話や器楽演奏に親しませることになった。

 マティルダ・リチャードソンと結婚してから、キトレルという土地の農場に移り、1900年に荷馬車屋を始め、これが20年続いたと言うが音楽はメイコンにとって単なる気晴らしではなくなっていた。ピクニックなど、人々の集いの場所で歌い奏し、近隣では一級のコメディアンとして、そしてすぐれたバンジョウ奏者として知れわたっていたという。しかし、金をもらって演奏することはなかった。

 芸能界に入ったのは1918年のことで、ある農家の盛大なパーティで、主人の態度がいやに横柄なのを見て、15ドルの出演料をふっかけたところ、意外にもその通りに支払ってくれ、それが切掛けになったという。その場に、ある巡業一座のタレント・スカウトが居合わせて、メイコンを見つけてバーミングハムの大きな劇場に出演する契約をとり、この後、1953年に83歳で死ぬまで音楽を職業として一生をおくることになった。

 オープリーに参加したのは1926年のことで、56歳の時であった。歌唱演奏は寄席演芸調であり、ミンストレル・ショーの芸人風でもあり、さまざまの民謡なり、民謡に近い歌をうたった。それら歌の多くは20世紀に入る前に学んだもので、鉄道や炭坑や河川工事で働いていた白人、黒人の労働者から教わったものであった。従って内容的には、南北戦争後に、わずかながら南部にも入り込んでいた工業化の波に対する人々の反応を示したものが少なくない。器楽演奏の面では、三本指を使ったりした複雑なフレイリング奏法を編み出し、独特のバンジョー演奏を聞かせた。

 「デキシー・デュードロップ」と親しまれたメイコンは、舞台芸人としては生まれつきの才能があった人で、今のカントリー歌手、奏者には見られない熱狂的な態度で舞台をつとめたという。素朴で飾り気がなく、もったいぶったところもない人で、全く自分で楽しんでうたい、演奏した人であったらしい。

 口中金歯を光らせ(金歯は1920年代半ばに流行した一種の金のかかったお洒落)、背広の上衣は着ずにベスト姿で、ネクタイの首まわりのところが見える昔のウィング・カラーを付け、明るい赤のネクタイをしめ、禿頭にふちの広い黒のフェルト帽といういでたちで人目をひき、1890年代の陽気な田舎紳士を彷佛させた。

マイクの前の椅子に腰かけ、足でどすんどすんとクロッグ・ダンスのリズムをとったりして古い歌をうたい、気のおけないお喋りをし、熱狂してバンジョーを振り上げたり、叫んだりして聴衆の気持ちをつかみ、20世紀に入った頃の都会化、工業化されてきた田舎町の活気を甦らせたのである。


※三井徹著「カントリー音楽の歴史」音楽之友社より抜粋しました