中島ファミリーバンド
アメリカ道中記
1994版


 1992年に続いて昨年も中島ファミリー・バンドがケンタッキー州オウエンズボロで開かれたIBMAウィークに参加した。中島美雅(bj)、由美(f)、絵美(m)、美砂(g)の4人姉妹、美雅は現在ナッシュビル在住、3人は福岡の女子高校生である。1993年の道中記は本誌(ムーンシャイナー)94年1〜4月号に連載されている。

 IBMA(インターナショナル・ブルーグラス・ミュージック・アソシエイション)はブルーグラスの包括的な発展を目指す非営利団体でケンタッキー州オウエンズボロに本拠を置き、毎年9月の第4週に業界の見本市、アワード・ショウ、ファン・フェス等を含む大会を開く。

 昨年は9月19〜25日に渡って世界中からファン、ミュージシャン、業界関係者が集まって開かれた。毎年、本誌からのツアーもある。本誌では11と12月号のアワード・ショウ、1月号のファン・フェスの各特集に続いて、中島ファミリー・バンドが体験したIBMAウィークを紹介しよう。バンドのスピーカー、最年少の美砂がリポートする。

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突然『瀬戸の花嫁』を歌い出した恐るべしタミー・ファサート
 えっ?なぜタミーが中島ファミリー・バンドのベースをすることになったのかって?いいところに気がつきましたねぇ。彼女は以前、何度か日本に来た事があるし(この前、瀬戸大橋でテキサス・レインジャーズの一員としてきた)、テクニックは優れているし、女性であるしなど、という十分以上な条件だったので、三郎さん(IBMA期間中の保護者というよりドライバーの渡辺三郎氏)の紹介で連絡をとった・・・というワケなんです。昨年は一緒だったベースの母は、残念な事に、フフフ・・・、今年は、ヘヘヘ・・・、こられないのだ、グハハハハ。

 何度か日本に来たといっても「こんにちは」と「さようなら」ぐらいしかしゃべれないだろうと思っていたタミーがなんと、いきなり小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』を口ずさんでいるではないか!!

 それとタミーは昨年アメリカで私達に話しかけてきたらしい・・・実はおぼえていない・・・。移動中の車の中ではサリー・バン・メターと演奏したライブの録音テープ(タミーは現在、彼女と正式なバンド活動をしている)が流れていた。小柳ルミ子のテープはなかったケドね。タミーはこの後、博多弁と標準語と英語の通訳までやってしまった・・・・。

ブルーグラス・ショウダウン
 いきなりショウダウンと言われても「なんじゃらほい?」と思われる方や「そんぐらい知っとる」と思っている方がいると思います。前者のために簡単に説明します。ブルーグラス・ショウダウンはIBMAからは独立したイベントでピザ・ハットがスポンサーの全米とカナダの各地域の予選を含めたバンド・コンテスト。

 その決勝大会がIBMAウィークの初日にIBMAのメイン会場でもある「イクゼクティブ・イン」というホテルのラウンジ・ホール(500〜800人位が食事もできる)で開かれる。そして、昨年はビックリなことに、その勝ち抜いてきたバンドの中にはニッケル・クリーク(クリス・シーリーm、サラf&ショーン・ワトキンスg)とストリング・フィーバー(ユタ州の中・高生のバンド)のキッズ・バンドが出場していた。

ストリング・フィーバー  ユタ州の中・高生のグループ「ストリング・フィーバー」

 ここをクリックすると大きな画像になります。

 ニッケル・クリークは腰が抜けそうなくらい一昨年以上に上手くなっていた。でも、このショウダウンで優勝できなかったのは、歌がイマイチだったからでしょううかねぇ?やっぱり楽器もだけど歌も練習しなければいけないなぁと思いました。

 みなさんも一度、応募なさっては?ブルーグラスの情熱を一層深めるいい機会になるかもしれません。なんと私達は悲惨なことに、このすばらしい演奏後、ゲストとして演奏・・・ガーン。「んま、よかたい」とひらき直ってステージへ・・・。この時はまだタミーが現れてなかったのでベースは嫌がる三郎サンにしてもらった。ちょっと三郎サンが間違えると通称「しきり絵美」がジロッ。女は怖いねぇ。

 この時は“Muleskinner Blues”“Grand Speed”“Blue Moon Of Kentucky”の3曲を演奏した。この3曲供、今春発売予定の私達のCDに入ってますので、どうぞ買って聴いてみて下さいね!(エヘッ、商売、商売...)
 この後、一昨年の宝塚フェスで知り合ったジャック・タトル夫婦に会った。奥サンが台湾の人で私(美砂)が軽く、中国語で「ニィー・シュン・ティー・ハウ・マ?」(How are you?)としゃべると、彼女はビックリしていた。フフフ・・・すごかろ?

ウッドワーズカフェ 
 このウッドッワーズとはホテルから車で2分ほど(オハイオ河沿いに歩きもOK)行った所にあるライブハウス。IBMM(インターナショナル・ブルーグラス・ミュージアム)の隣にあり、IBMAの本部や大ホールもあるリバー・パーク・センターの一角。

 中に入るとこれまたビックリ。ロシアから来た小・中・高校生のキッズ・バンド、チアフル・ディリッジェンスが演奏していた。「へぇ、ロシアにもブルーグラスはあるのか」と感心しながら聴いているとこれがまた上手いのなんのって。ステージなれしているし、とてもはぎれがいい!!

 んで、このボーカルがまた大人っぽくてきれいな声しているし・・・。でもおいおい、アメリカとロシアのキッズ・ピッカー達よ、ちょっとまってくれ。アメリカとロシアにキッズ・ピッカーがいて、この日本にはいないと思っていたら大間違いだゼ、ベイビー。フフ・・・。

 この日本にもちゃーんといますよ。んま、詳しくは予定している「日本キッズ・ピッカー編」で書きますけど大人の方々も楽しみに待ってて下さいね!
 そうそう、なんともっとビックリすることがあった。な、なんと!隣のブルーグラス・ミュージアムに由美姉ちゃん(次女)の写真がドーンとバカでかくかまえているではないか!その横にはジョンハート・フォードの写真。スゲェ!!

ミュージアムの由美のパネル

 その写真は一昨年のIBMAウィークにとったもので、後から梅ちゃん(今回アメリカで一緒だった女子大生5人グループの一人の梅田文江さん)から聞いた話によると由美のフィドルに以前、ジェイソン(デル・マッカリー・バンドのf)がサインしたのもバッチリ写っていたので彼が自分のサインを指さして「これは僕のサインなんだ」とみんなに言いふらしていたらしい・・・。

 21日(水曜日)は教会でタミーとの初舞台。教会での演奏はIBMAが地元市民との交流を目的に様々なブルーグラスバンドが街に出ていくひとつ。
 
 その後ウッドワーズで演奏。でも、この同じ時間帯にショウケース(ショウダウンと同じホテルのラウンジで火〜金曜日にかけて行われるバンドの売込み)でクリス・シーリーのバンドやキャシー・キャリック等、10バンドがやっていたのでお客さんは少なかったけど、とてもいいステージだった。

 曲はタミーのCD『Just Passin' Through』から“Never see your face again”と“Carry you Along”をいっしょにして、あとは私達の曲を演奏した。この“Never see your face again”はタミーのお母さんが亡くなった時の事を歌った曲なのにリズムが軽快だから私はニコニコして演奏してしまった・・・。

 そうそう言い忘れてたけどイクゼクティブ・インのホテルに着いてIBMAのカウンターへ行くと、すぐ一人一人に大きな袋がもらえて、その中にはIBMAの資料がたくさん入っている。まず自分の名札(これは人の顔を覚えきれない私にピッタリ!)やブルーグラスの新聞。それに小さな本(全体のスケジュールやセミナーの予定、ショウケースに出るバンドのプロフィールや見本市の出店リスト等々が書かれてあるガイドブック)や地図など。それになんと頭痛薬まで入っているのだ。1週間ホテル中にブルーグラス・ジャムが流れているから、それで頭が痛くなってしまった人のためにだって・・・。


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