誕生日とX'mas
 さて家内の3月から始まり、4月が長女、次女、三女、5月が四女で6月が私と、誕生日が続きます。この誕生日にはご馳走とケーキとプレゼントを用意しました。それとみんなから歌のプレセントもあります。誕生日でない子たちが私のギターの伴奏で、「Happy bithday to you」を歌うのです。

 それからローソクの火を吹き消して、家内が6等分にカットします。まず誕生日の人から取ります。あとの3人はジャンケンで決めるのです。この頃から公平を期すためにジャンケンで決めるようにしました。もちろん私のケーキは誕生日の子にあげます。

 プレゼントは前もって欲しいのを聞いていますので、店頭で迷わずに済みます。クリスマス・プレゼントも1ヶ月ぐらい前にそれとなく聞いておきます。一度メモを無くしてしまい双子の品物を間違って逆にしたことがありました。その時は「お前達があんまり似ているからサンタさんが間違えたったい」と取り繕くろいました。それとおもちゃ屋さんの包装紙は店名が入ってますので、市販の包装紙に包み代えます。子供はちゃんと覚えています。子たちの夢を壊さぬようにしました。

 後になって、子たちにおもちゃを買って上げるのは、年に2回だけにしました。親の楽しみで、あれも、これも買ってあげたいのですが、敢えて買い与えるのを止めました。いままで遊んでいたおもちゃを大事にしなくなったからです。 

誕生会

 せっかく気に入ったおもちゃでも、次から次へと新しいおもちゃが手に入ると、また別のを買ってもらおうという気持ちになるからです。中にはわざと壊わすのもいました。皮肉にも「物を粗末にする子」にしているのはその親とおじいちゃん、おばあちゃんなのです。

 子たちには夢を持ち続けるようにと、このクリスマス・プレゼントは長女が中学3年生まで続けました。私としてはあと3年ぐらいはと思っていましたけど。英会話の家庭教師を頼んでいたジョディーン先生がばらしてしまったのです。末の娘は薄々感じていたらしく、あとの3人は親孝行と思い知らぬ振りをしていたといいます。



こどもはおしゃべり
 ピカピカの1年生。1982年(昭和57年)長女、美雅が小学校に入学しました。名前はきちんと言えるだろうか。おシッコを漏らしたりしないだろうか。いじめられないだろうか。ひとりで帰ってこれるだろうか。心配し出したらキリがありません。これも初めての子だから仕方ないことですけど。しかし不思議なことに、あとの三人の場合は何の心配もいりませんでした。

 またこの日から、美雅が学校から帰って来るまでには家内が必ず家にいるようにしました。かぎっ子にしたくなかったからです。「ただいま〜」と言って「お帰りなさい」の返事がなかったら、こども心にも寂しいものでしょう。それと非行に走らないように、これがいちばんの理由でした。仕事はもちろん大事ですけど、こども、家庭も、もっと大事にしなければならないと話し合っていました。

 ところが数日たった頃から「学校に行きたくない」と駄々をこね出しました。昨年まで通った保育園とは別の校区に引っ越したために、友だちが居なかったからでした。心配していた登校拒否です。

 「きょう学校でね...」ひとりが喋りだすと他の子も「私もね、保育園でね...」学校、保育園での出来事を喋ります。お母さんたちもそうですけど実は、子たちもおしゃべり好きなんです。ですからよ〜く聞いてやることです。

 そうすればわが子のまわりでの出来事が分かるのです。健康状態、勉強の出来具合それに友だちとのことなど。もしいじめに会ったりしていても、早めに対処できるのです。長女の登校拒否も早かったから良かったのでした。近くに住む6年生のお姉さんに一緒に学校まで行ってもらうようにして解決しました。
 
 子たちから一日の出来事をお父さん、お母さんへ報告しているのですから、「忙しいから、後で聞く」は絶対ダメ。まず聞いてからやることが家事よりも大事なことです。私はつい「後で聞くから静かにしとけ」と言いましたけど。あなたはそうしないように。


おばあさん

わたしのお袋にイメージが似ています。


交通事故は怖い
 長女の小学校入学を機に、子たち4人に交通ルールを教えました。「横断歩道を渡る時は右手を上げて」「信号が青のとき渡るように」「信号がないところでは右と左をよく見てから」。家族6人、実際に通学道路に出て交通ルールの勉強をしました。しかしそれでも次女、由美が道路へ飛び出して車に跳ねられたのでした。双子の絵美がが横断した後を追っての事故です。小学校に入学する前のことでした。

 結婚して始めて家内を叱りました。「一緒にいてなしてや」。私がいる時は長女と四女と家内が手をつなぎ、双子と私が手をつなぐようにしていました。片手には買い物袋、もう一方で四人では無理もありませんでした。 

 この事故を教訓にして二度と事故に会わないように子たちに機会あるごとに言い聞かせました。実際に車を運転して、車が急に止まらないことも教えました。それにしても事故を起こした運転手さんには気の毒なことをしました。私も仕事で毎日、車に乗ります。うちの子供が悪くても、跳ねた運転手が罰っせられるのです。

 ところで次女は足と鎖骨の複雑骨折で全治2ヶ月の診断でした。命に別状はなく、また顔にキズがなかったのでひと安心でした。家内が入院中の由美に付き添っていた間、残り三人を義父母に預けて、私は一人暮らしを経験しました。双子が生まれたときと今回と、二度までも義父母に甘えてしまいました。ほんと近くに親がいて助かりました


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