お酒のこと
 私が高校生になると父親から酒を飲まされました。酒に対する免疫をつけるためです。それと酒の飲み方、マナーを教えるためです。「酒は飲んでも決して飲まれるな」と耳にタコができるほど聞かされました。ですから私の兄弟はみんな酒を嗜みます。だけど兄、姉、弟の誰一人として酔っぱらった姿を見たことはありません。成人する前に酒の飲み方を教えられていたからでした。

 だから自分の子たちにも同じように酒の飲み方を教えました。いまでも機会あるごとに教えています。「酒の上での失敗だから」と弁明する大人が多いですが、「酒の上だからこそ失敗は許されるものではない」と私は思います。

 博多の歓楽街、中洲のチャックワゴンというカントリー音楽のライブハウスでよく演奏をやりました。ある日のこと、そのチャックワゴン近くの居酒屋の前で二、三人の女子学生が酔っぱらって道路に座り込んでいました。スカートには吐いた汚物も付いています。子たちは目を背けましたが、しっかり見ておくよう言いました。生きた社会勉強だからです。

 また大学のコンパや職場の飲み会で命を落とす若者が後を絶ちませんね。亡くなった若者のご両親はいったいどんな心境でしょうか。「まさか酒で命を落とすとは」残念無念であり未だ信じられぬことだと思います。飲み方を知らないから一気飲みをするのであって、飲み方さえ知っていれば...。もちろん日本の法律では未成年者の飲酒を禁じています。がしかし、親の責任のもと、一緒に飲んでその飲み方を教えていたら命を落とすことはなかったのにと私は思います。
  
 私は毎晩の晩酌が楽しみです。結婚してはじめに幸せと思ったのは食卓に刺身と熱燗が用意してあることでした。今も同じですが病気してからは酒量は減りました。毎晩、日本酒2合にビール1本です。家内は日本酒が飲めませんのでビール1本の晩酌です。また会話が弾めばふたりでが4〜5本くらいになります。これがわが家の夫婦仲を保っています。何故なら、素面では言えぬことでも、酒の力を借りてお互い言いたいことを言い合うのです。ですから結婚する相手はまず酒が飲める人が条件でした。

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泣いてグズるときはこの乳首とブリキのギターで...


両親に教わる
 私は明治生まれの親父から厳しくしつけられました。しかし叩かれたり口喧しく言われたのは中学生までで、高校生になると叩くのは止めて言い聞かせるようになりました。「昔は15歳で元服したものだ、しっかりしろ」が口癖で、まあほとんど説教に近いものでしたけど。しかし大人として扱われることに何んと例えようもない嬉しさを感じたものでした。

 また親父は幼くして両親を、結婚してから二人の弟を病気で亡くし、お袋も若くして両親を、また戦争で唯一の兄を亡くしています。ですからわが子に対する思いやりは人一倍強いものでした。引っ越す時は必ず病院の近くに、そして先生には御中元、御歳暮は欠かしませんでした。おかげで私はよく夜中に往診してもらい、助かったものです。

 私の子育てはこの両親から受けたのがベースとなっておりますし、同居していた長兄夫婦の甥に対するしつけが参考になっています。

 毎日7時までに帰宅する父。すぐ上の兄二人と弟と私の四人は玄関に正座して「お帰りなさい」。外で遊んでいても父親が帰宅するまでには家に居なくてはならない。それから揃って夕御飯です。親父はこの家族みんな揃っての食事を大事にしていました。もし居なかったらゲンコツを食らう。剣道の心得がある大きな手だから非常に痛かったのを覚えています。

 父親の前に風呂に入ったらダメ。「誰が主人(あるじ)か」と一喝。新聞もそうだった。やむなく読んだ時はきちんと元通りにしておかなくてはなりませんでした。食事のマナーは特にうるさかった。箸の持ち方、お茶碗のもち方、口の中に食べ物が入っているときは喋ったらダメ。肘は付くな、ぺちゃくちゃ音を出して食べたらダメ、等など。

 お早うございます、いただきます、お帰りなさい、おやすみなさい。の毎日のあいさつ。まず両親に対して、目上の人に対しての口の聞き方、敬語の使い方。何も特別のことを教える訳ではない。ふだんの生活でそれとなく覚えさせる。昔は多かれ少なかれどの家庭もこのような父親(母親)がいたものです。ですから私たちは自分の子供たちにいろいろと教える事が出来たのです。

 「親から厳しく育てられたから、自分の子供は自由に育てる」とよく聞きます。もちろん自由に育てるのは大事なことと思います。しかしその自由の意味を履き違えた親があまりにも多いのに驚かされます。現に親から厳しく育てられたから今の自分があるのに。まるで「親から厳しく育てられたから、ダメな人間になった」と他人に言いふらしているようなものです。

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頭に来ること
 私が頭にくることは、わが子のしつけもしないで学校の先生の所為にする、馬鹿な親があまりにも多いことです。その親の親がよっぽどの大馬鹿者だったのでしょう。親が自分の子供にも出来ないのをなんで他人の先生ができるのでしょう。しかも一クラス3〜40人もいるのですよ。

 そういう親に限って先生が自分の子を叩いたら学校に飛んで行って悪態を付くのです。可哀想なのはそんな馬鹿な親を持った子供です。

 なぜ自分のこどもが先生から叩かれたのか、考えるべきだと思います。いまの先生は本当は叩きたくても叩けないのです。それが叩かれたのですからよっぽどのことだったのでしょう。
 でも叩き方を知らない先生が多いから、問題になるのだとも思いますけど。そのうち先生達の登校拒否が多くなることでしょう。

 私が生まれた所は収入のほとんどが食費に消えてしまうエンゲル係数が高い漁業の町でしたが、海苔が収穫できるようになってからは一変して、経済的には豊かになりました。漁師の家庭ではどこも両親が朝早くから夜遅くまで働きづくめです。とても子たちのしつけ、教育などには手が回りません。不良になる子も少なくありませんでした。学校からの呼び出しにもいつもは行けず、先生任せにしか出来なかったのです。

 ある時、中学校から呼び出しを受けたクラスメイトの母親が担任の先生に「うちの息子をお願いします。死なぬ程度に殴って...。」こう言っていたのを職員室にいて聞いたことがありました。ですから顔を腫らして帰宅しても騒ぎにはならなかったのです。当時の私達は悪さをすれば先生から叩かれ殴られる。これはごく当たり前のことだったのです。叩かなくて説教する先生が大の苦手でした。

 

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