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9月19日(日)

 朝10時にナッシュビルを出発、レンタカーで一路ケンタッキーへと向かう。...が、その前にMall(何個かのデパートと専門店が合体したもの)でショッピングしたくて捜すけど、どこも閉まっている。
 「なんで開いとらんとー?」。すでにMall のとりこになっていた私達はガックリ。日曜日は教会に行くから午前中は休みらしい。仕方なくスーパーで買い物したが、ビックリしたのは1ダース入りの缶コーラが。ななんと3ドルだ。1本が約25円!!なんて安いんだ。父が高校生の時、初めて飲んだコーラが35円だったという話を思い出した。円高の力ってすご〜い。

 途中テネシーとケンタッキー州境のレスト・エリアでランチと記念写真を撮り、車はビル・モンローの故郷ロズィンへと向かった。車から眺めるロズィンの景色は雑誌で見るよううなかわいい家、まさにカントリー・ハウスそのものだった。「キャー、バリかわいい(由美)」「結婚したら、こんな家に住みたいねエ(全員)」とキャーキャー言いながらアンクル・ペンの墓とモンロー家の墓へ行った。

アンクル・ペンの墓

 そこの墓地は日本と違って、墓石だけがポンポンと並んでいるだけで、隣の墓との境界線がなく、どこを通っていいのか解らなかった。アンクル・ペンとビル・モンローのお兄さん(チャーリーとバーチ)の墓に向かって、歌が上手になるよううにと『般若心経』を唱えてきた。 

 しばらくして「これがロズィンの駅やでエ」と三郎さんが言うけど、あたり一面、何もない。ただ、ちっちゃな物置(アメリカの犬小屋は大きいえお思っていた)がポツ〜ンとあるだけだ。それがロズインの駅だったのだ。プラットホームも駅舎もなく、ましてやタクシーやバスもいなかった。これも七不思議だった。でも私達は映画『スタンド・バイ・ミー』のシーンに入り込んだみたいな気分を味わった。

ロズィン駅

 近くにはバーン(納屋)があり、そこでは週末に演奏やジャムセッションがあるということだった。アンテイークな農具や道具類が飾られていて、隣の雑貨屋のオバサンが色々と説明してくれたけど、私達の目にはボロっちい馬小屋でしかなかった。

 夕方にIBMA週間が開かれるオーエンズボロ随一のホテルらしい『イクゼクテイブ・イン』に着く。 

 自分たちが作ったまずいサンドイッチを食べながらの長旅だったので、おいしい料理を食べてゆっくりしようと思っていた。But! 誰もが想像しなかったあの恐怖のステーション・イン事件(ナッシュビル編参照)がまたもや私達に振りかかった。三郎さんが「今からレセプションに行くでエ」。

 美雅ネエちゃんに「レセプションってなん?」と聞くと「レストランの名前じゃない?」と言う。双子の姉達も「ちょうどお腹すいとったけんネ」「三郎さん!気がきくやない!!」と話していると、私達に同行している村中&岩藤のおじちゃん達が「はやく浴衣に着替えて演奏して」と言う。なんとレセプションとは、市長さんやIBMAの関係者が集まっての前夜祭だったのだ。このとき私達があまりムーンシャイナーを読んでないのがバレてしまった。

 “Sitting OnTop Of the World”と“春の海”と“Daybreak in Dexie”の3曲を演奏した。その時ローランド・ホワイトが聞いていたらしい。「君達が演奏した“春の海”のテープが欲しい」と言われ、まさにOh! Really?だった。その後何度か催促され、三郎さんが借りてきたラジカセに録音して手渡した。 

 彼には、その後たいへんお世話になったので、昨年10月のカントリー・ゴールド(熊本)で再会した時に、博多織りの財布をプレゼントしたら、子供みたいな顔をして喜んでくれた。ローランドは、ホントやさしいおじさんだった。

ローランド・ホワイト

9月20日(月)
 今日から26日(日)まで、このホテルを中心にIBMA会場のあちこちでいろんな催物があるという。私達はまず「ウッドワーズ」というブルーグラス・ミュージアム隣のライブハウスで演奏する。司会は英語で、もちろん内容を考えたのは三郎さん。カンニング・ペーパーを見ながら喋っているけど通じてないみたい。しかし「Do you understand?」と言った時だけ、通じたみたいで笑いと大きな拍手があった。

 40分間ぐらい演奏しただろうか、ラストの“John Henry”を弾き終えると「More, More」の連呼。「待ってました」と思いながら箏曲“六段”とメドレーで“Kentucky”を歌い始めると、ものすごい歓声と拍手が沸き起こった。こんなに受けていいのか・・・、舞い上がりたい気持ちだった。父から「IBMAの会場があるオーエンズボロはケンタッキー州にあるから“ケンタッキー”をよく練習しとけ。泣いて喜ぶくらい受けるから」と言われていたのが現実となってしまった。

 後で聞いたんだけど、福岡に住んでいて私達とよくジャムしていたマイク・アレン(バンジョーの86年ウィンフィールド・ナショナル・チャンピオン)がナイアガラの滝のような涙を流していたらしい? 

 この日は夜にもブルーグラス・ショウダウンという全米ブルーグラス・バンド・コンテストの決勝大会にもゲスト出演をした。大きな会場に一杯の人だったが、三郎さんは審査員とやらで、「テキトウにやっててや」と何処かに消えてしまった・・・・。


写真上はアンクル・ペンの墓、中のはビル・モンローが生まれたロズィンの駅、そして下の写真が絵美とローランド・ホワイト。

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