タイトルロゴ

 みなさん、こんにちは! 長女の美雅です。学校が(もうすぐ卒業)暇になったので週に一回、1時間20ドルでバンジョーを教えています。生徒は(まだ一人ですが)アメリカ人の友達のお父さんで、私立高校の生物・科学の先生です。 先週、彼が「面白い記事を見たよ」と地元の新聞を見せてくれました。それによると、ビル・モンローが50年以上も愛用した、F−5のマンドリンが売られたと書かれてありました。それについてレポートをします。

 4月26日のナッシュビルの新聞“TENNESSEAN”に、ドデカくビル・モンローのマンドリンが1.125ミリオンドル(約1億3700万)で売られたと載っていました。買い主はケンタッキーにある、ロズィーン市のビル・モンロー・ファンデーションでした。 以下、その記事からです。F-5マンドリン

 ビル・モンローの愛用したマンドリンは、マスターモデルF−5商品番号73987で50年以上も彼の手で弾きこなされ、ブルーグラス・サウンドに大きな影響を与えたすぐれた楽器でした。

 ナッシュビルのギターの専門家、ジョージ・グルーン氏によると、それに似たモデルのマンドリンはいいコンディションで保たれていて、65,000ドル(約8,125万円)の値打ちを持っているとのことです。

 1950年頃、ビルがギブソン社に彼のマンドリンの修理を依頼しました。 4ヶ月後、ビルの元に返ってきたマンドリンは、壊れた部分のほんの一部しか修理されていませんでした。それに怒ったビルは、丸のみでそのマンドリンのヘッドにあるギブソンのプレートを丸ごと削りました。

 余談ですが、私達がカントリー・ゴールドでビルに会った時に、絵美が持っているマンドリンのヘッドのブランド名が削ってあるのを見て(これは購入したとき、すでに削ってあった)、『これは自分で削ったのか?』と絵美に尋ねたと通訳してくださった橋本さんから聞きました。

(参照:右下の写真。ビルがグランド・オール・オ−プリ−のアナウンサーであるグラント・ターナーにその事について説明している場面)

 長い間、ギブソン社とは不仲な関係でしたが、1985年には両者ともお互いに和解しました。ところが同じ年の秋頃、文化破壊者らがビルの家に侵入し、彼の愛用しているF−5のマンドリンと彼の別のマンドリンを暖炉の火かき棒で打ち砕く、という事件が起りました。

 それからすぐに、ナッシュビルのギブソン工場に2台のマンドリンは持ち運ばれました。当時まだ若かった修理士のチャールズ・デリントンが、粉々になった500以上もの破片を接着し、またどのマンドリンの破片かも見極めながら、丁寧に見事に仕上げました。ビルは、そのマンドリンが修理されて返ってきた時には号泣したそうです。

(参照:左下の写真。無残に砕かれたビルのマンドリン)
F-5とビル

 ビルはジェイムズ・モンローに、「このF−5のサウンドは不滅である」と言っていたそうです。ビルが亡くなってから、彼のF−5のマンドリンを売ってくれ、という話がジェイムズの所に殺到して困っていたらしいです。ナッシュビルの“Country Music Hall of Fame”(有名なアーチストの楽器などたくさん展示してある)もそのF−5を手に入れようと交渉しましたが、彼の生まれ故郷のロズィーン市のビル・モンロー・ファンデーションがその彼が愛用した1923年製のギブソンF−5を手に入れました。


Home

Top

Next