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 みなさん、こんにちは。長女の美雅です。前々回に由美がお知らせしたとおり、先月にナッシュビルテックを卒業しました。その学校と卒業式についてのレポートです。

 1998年9月から3年間通ったナッシュビル技術専門学校のビジュアル・コミュニケーション・テクノロジーのグラフィック・デザイン科を先月の5月14日に卒業しました。主にパソコンを使ったグラフィック・デザインを学び、CDラベルやポスター制作、ウェブデザイン等を勉強しました。

 普通は2年で卒業できるのですが、英語のクラスを2学期分も強制的に取らせられたので3年近くもかかりました。これは、学校にもよるのですが、外国人は一年近く、大学・短大で基礎英語(中学レベル)を勉強しないといけません。これは驚くくらい、簡単な英語のクラスでした。

 授業は、昼と夜を交えて取りました。この学校は、年齢層がバラバラで、昼のクラスメイトは10代から20代が多く、夜のクラスメイトは、すでに仕事をしている30代以上が普通です。人種は白人が黒人より圧倒的に多く、外国人は私くらいでした。面白かったクラスは、いくつかあります。Sociology(社会学)では、やはり人種問題が毎回のように出て、白人VS 黒人との意見のバトルがとにかくすごかったです。また、Speech(スピーチ)ではかなり恐れていたクラスだったのですが、アメリカ人でも人前でプレゼンテーションするのは下手で、これには非常に驚きました。

ポスター 写真左は私が書いたデジカメのポスターです。ここをクリックすると大きな画像になります。
『Copyright 2000-2004 Mika Nakashima.All Rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.』

 よく『アメリカ人の友達はたくさんできたんでしょうね』と日本に帰るたびに聞かれるのですが、残念ながらなかなか出来ません。文化の違いが私の中では大きな問題なのです。アメリカ人は若い時からかなり独立していて、日本人のようにグループで動く傾向があまりないようです。中には、学校に行かずに家で勉強した人達も少なくなく、昔近くのベルモント音楽大学の寮に住んでいたときに、アメリカ人のルームメイトが、『大学で友達なんてめったにできないわよ』と言っていたこともありました。

 クラスでわからない事があったときに、いつも助けてくれたのは実は、ほとんどが黒人でした。私の経験から言うと、黒人も日本人と同じようにグループで行動することが多いみたいです。また、どうしても学校では白人が多数なので、マイノリティー同士がくっつくようになるのでしょう。

 先生については、平均的にいい先生が多かったですね。それにしてもこんな田舎に日本人とアメリカ人のハーフの先生がいました。どうみてもその先生は、アラブ系にしか見えませんでしたが、かなり日本について詳しかったです。

 学費については、苦労しました。私が行っていた学校は、1学期で約3000ドルでした。学校によってかなり差があります。それプラス生活費と教科書代等です。外国で、しかも家族から離れて一人暮らしをするのは容易なことではありませんでした。

卒業式
同じグラフィック・デザイン科のクラスメイト達。手を上げているのが美雅。


 卒業式は近くの大学、TSU(テネシー州立大学)の体育館でありました。なぜ他の大学で卒業式があるのか、と私も思いましたが、私の学校は大きなホールがないために近くの大学に場所を借りたのだと思います。ちなみに、何年か前に友達が近くの短大を卒業しましたが、その時は教会で卒業式がありました。

 アメリカの卒業式と日本での違いを探せば、まず卒業生用の衣装があることです。みんな黒の卒業衣装を着て出席します。学部によってデザインや装飾が異なっていて、先生達もまた部分的に違った卒業衣装を着用して式に出ていました。来賓は日本のように黒っぽいスーツを着た人よりも、むしろジーパンにスニーカーといったラフな格好した人の方が多かったかも知れません。

 それと日本の様に静けさと涙と、かしこまった雰囲気とは全く逆で、始めから終りまで賑やかで、ワーワーと盛り上がりぱなしの卒業式でした。
 卒業生は、300名程で、年齢層はバラバラで白人・黒人はおよそ半々、アジア系は私を含めて、3、4名程度でした。とにかく目標が達成でき、日本ではできない経験ができてよかったと思っています。



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