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 今月の10日(金)と11日(土)にナッシュビルからほぼ真北へ、40分車を走らせたとこにあるアダムス町の第23回ベル・ウィッチ・ブルーグラス・フェスへ行ってきました。メンバーは先々週と同じく、由美、宏樹くんと私(美雅)の3人です。

8月10日(金)
 フェスの会場はのどかな田舎の、周りを牧場で囲まれた所にありました。フィドル・コンテストは翌日の11日に行われるので、今回は由美がカメラマンの役です。

 バンジョウのコンテストでは、今回も宏樹くんにギターの伴奏を手伝ってもらいました。曲は「Shuckin' The Corn」と「Dixie Breakdown」を選曲しました。

ちょっと練習

 出番前にちょっと練習です。やはりここでも東洋人が珍しいのか周辺の人々が集まってきました。


 私のステージでは二人のおじいさん司会者のうちの一人が「日本語を少々話せる」ということで「それでは喋ってもらいましょう!」ということになりました。その司会のおじいさんは少しためいながら、「うーん、すし、ホンダ、アンニョン・ハセヨ!」と叫び、たくさんの拍手を受けていました。だけど、な、なんか韓国語が入って入たような気が・・・。すごく緊張していたのでホント助かりました。

  ステージが済んでから、その日本語を“話す”おじさんがやって来て、「ステージではしつこく話してしまって悪かったね。いやー、しかし僕が日本語を喋ったかどうかは客にはわからんよ」などと言って笑っていました。ホントに面白いおじいさんでした。

 前回のジェイムズ・タウンの時のバンジョウ・コンテストの参加者は10人でしたが、今回の参加者はたったの5人。幸運なことに決勝に残ることができました。

8月11日(土)
 車にひどく酔ってしまい、出番ギリギリになんとかフェス会場に辿り着きました。くじ引き(順番決め)では1番を引いてしまう始末。また練習もあまり出来ずに、ステージに立つことになりました。この日は「Sled Ridin’」と「 Dear Old Dixie」を選曲し、どうにか弾くことがましたが、自信はありませんでした。他に決勝で残っているのは、マンドリン部門でも決勝に残っている地元のおじさんとプロ活動をしているコディ・キルビーという若者。結果はおじさん1位、コディ2位、そして私が3位でした。

 コンテストも終わり、「さぁ、帰ろうか」と立ち上がると、またあの日本語を喋る司会者のおじいさんがやって来て、「君が弾いたDear Old Dixieは、1800年代の南北戦争時代に生まれた曲なんだよ。この帽子は戦士が用いたもので、その当時のものと同じデザインで作られたんだ。これを君にプレゼントするよ」と3位の賞金の25ドルと、メダル、それにこの本皮で作られた南北戦争時代の帽子をもらいました。何よりもこの帽子がうれしかったです。

帽子とメダル
手にしているのが南北戦争時代と同じデザインで作られた帽子とメダル。ここをクリックすると大きな画像になります。

 このベル・ウィッチ・ブルーグラス・フェスでのコンテストでの面白いルールの一部を紹介します。
まずはフィドル部門・・・オレンジ・ブロッサム・スペシャル、ブラック・マウンティン・ラグ、リッスン・ツゥザ・モッキンバードの3曲は(何故だか分かりませんが)選択できません。また、演奏する2曲のうちワルツとブレイクダウンを1曲づつ弾かなければいけません。(これは由美が100$ゲットしたジェームズ・タウンのフェスと同じです)

 バンジョウ部門・・・ジョン・ヘンリー、ジョン・ハーディ、フォギー・マウンティン・ブレイクダウン、アールズ・ブレイクダウンのような異常に速い曲は選択できません。また、スクラッグス・チューナーは使用禁止です。
 


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