dochu-05

9月26日(日
 今日がファン・フェス最終日。ルイス・ファミリーの演奏を聴きたかったので朝から良い席を捜した。
 そのルイス・ファミリーのおじさん(Bj, リトル・ロイ)の面白いこと。言葉が分からなくても、ブルーグラスを知らなくても、バリ面白いのだ。ゴローさんといい勝負じゃないかと思った。そのおじさんは大声で『Japanese Sound』と言って、なんと中国のメロディーをバンジョーで弾いたのだ。今度会ったら“津軽三味線”でも聴かせようっ〜と。

 2〜3日前の「SHOW CASE」で私達がリン・モリスの“My Heart Skips A Beat”を演奏したのを彼女が聴いていたらしく、それがキッカケで私達4人姉妹が、このメイン・ステージで、リン・モリス・バンドと“My Heart Skips A Beat”と“Dear Old Dixie”の2曲を一緒に演奏したのだ。ワァオー!!
 リン・モーリス


 彼女はとても人気があり、すごく優しい人だった。IBMAの理事もしていて人望のある人だという。帰国後すぐ彼女へお礼の手紙を書いたら「また来年アメリカへ来る時は私の家に泊めてあげるから」との返事がきた。楽しみだ!リン・モリス・バンドとの演奏も終わりステージを降りると、そこに飲んだくれの・・・いやいや、かの有名なジミー・マーチンがいるではないか・・・・。

 美砂のギターにビル・モンローのサインがあるのを見たメンバーの一人が「ジミー・マーチンのサインが何でないんや。俺が言ってやるから書いてもらえョ」と言ってジミー・マーチンを連れてきた。そしたら彼はビル・モンローのサインのすぐ上に大きく太く書いたのだ。

 いままで何人かのプロにサインしてもらったけど、みんなビル・モンローのサインを避けて隅っこに小さく書いたにすぎなかったのに・・・。やっぱり彼は大物だった。

 「4時からジミー・マーチンと一緒に演奏するみたいョ」と由美が言ってきた。「ウソやろ!!」「んなこと、あるわけないやん!!」
 ジミー・マーチン&サニー・マウンテン・ボーイズのラスト曲が済むとジョッシュ(bj 12才)とクリス(m、12才、マセガキとは別のクリス)と私達4人姉妹がステージに上がりマイクの位置を調整する。 

 その間ジミー・マーチンはず〜っと喋っている。マック・ワイズマンが自分よりも先にIBMAの賞をもらったからだという。余程悔しかったのだろう。それにしても長い喋りだ。観客もウンザリといった表情が伺える。

ジミー・マーティン
 美砂のギターにサインするジミー・マーティン


 曲は“Will the circle beunbroken”だった。しし彼が歌い始めると先程までのザワつきがシ〜ンと静まった。
 それにしてもサニー・マウンテン・ボーイズの刻むリズムの心地良いこと。バンジョーがものすごく弾きやすい。由美も絵美のブレイクもバリいい。これがプロのリズムなのか!私はこのままずっ〜と彼らと演奏したいと思った。妹達も多分そう思ったに違いない。1曲だけどものすごく勉強になった。
 
 「日本からやってきたファミリーのブルーグラス・バンド、中島ファミリー・バンドは英語が話せない」とオーエンズボロの新聞を読んだという青年が私達を訪ねてきた。ボランティアで通訳をしてくれるという。日本の大学に留学していたことがあるというこの人は、ブラントという名のやさしい人だった。

 この日、頼りになるハズの三郎さんは「ビル・モンローを拝みに行く」と朝からピーター・ローワンと一緒にビーン・ブロッサムに出掛けてしまっていた。リン・モーリス・バンドやジミー・マーチンとの打ち合わせの時など彼がいなかったらどうなっていたことか・・・。しかし、もうすこし早く来てくれていたら苦労しなくてよかったのに。ホント助かりました。もう一人、私達に親切だった地元のジョン・ラスウエルは、ファン・フェス期間中のチェア・マンでバンジョー・ピッカーだ。

ジョン・ラスウエル  ジョン・ラスウエル(右側)とあのマック・ワイズマンだ。

 ここをクリックすればバンドの写真が見れます。中央のギターがマック・ワイズマンでバンジョーがジョンです。

 かつてオーエンズボロに住んでいた日本人と友達であったという彼は大の親日家だった。美雅ネェにバンジョー・レッスンをしてくれ、「日本語を勉強するからお友達になりたい」と言っていた。その彼が通っているという教会でも演奏した。そしてそこがジョンとの泣き別れの場所となった。



 帰国後、すぐ彼から手紙とカセット・テープが送られてきた。「寂しい思いをしているから、また来年オーエンズボロに来てください」という内容でカセット・テープは美雅ネェのバンジョー・レッスン用だった。

 あ、そうそう、これを読んでいる、あなた!知りたいことがあるでしょう?誰でもこれをしりたいハズ。もちろん、この事しかない。


 そう、あの父が留守の間どうしていたか?ですよ。オーエンズボロから姉達が電話すると、声がやさしすぎて気持ち悪かったらしい。もしかして家に帰ったらこのまま優しいかも・・・、と思っていたら大間違いだった!
 私達の考えは甘かった。ああ!もう少しアメリカにいればよかったなぁ・・・? 

9月27日(月)
 楽しかったIBMAのファン・フェスも終わり、再びナッシュビルに戻る。オーエンズボロから約2〜3時間のドライブだ。
 
 夜になると、ブラウンちゃんが私達が泊まっている「Shoney's Inn」(偶然にも彼女がユニオン・ステーション時代にアリソン・クラウスと一緒に宿泊していたのと同じ部屋)に来てくれて、また美雅ネェにバンジョー・レッスンをしてくれた。スクラッグス・チューンからベラちゃんまで。たっぷり4時間もの長い間、二人だけで。

 いつもはやさしい彼女もレッスンの時は、とても厳しい顔つきだ。「Mika,You must practice very hard.」と言われたそうだ。これで上手くなってくれるといいんだが・・・。
 その間、手持ち御無沙汰の私達は彼女の名前を漢字で表現すると、どうなるか考えてみた。「亜理尊」もいいけど、発音どおりの「亜理寸・舞楽雲」となった。

 そのブラウンちゃんからユニオン・ステーション時代のアリソン・クラウスの大秘話を四方さんの通訳を通して聞いた時は、涙でハンカチがグッショリなるくらい笑いこげてしまった。なぜかこの時、私はアンパンマンこと、植田さん(元メイキング・プラン)の悲しみに満ちた大きな顔を思い浮かべてしまった。植田さんは彼女がバリ好きなのだ。

 話は変わって、この日私達はナッシュビル・レポートでお馴染みの四方さんの素顔を知ったのだった。まずポロのシャツしか着ないこと(一年中)。なぜか子供に人気があること。カッパを着たら、てるてる坊主に似ていること。まだ結婚してなくて、お嫁さん(日本人の女性が良いそうだ)探しに一生懸命なこと。父と同じ年(46才)には見えないこと。顔に似合わず優しいこと。何処かに四方さんのお嫁さんになってくれる人はいませんかァ・・


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